『檀』 沢木耕太郎

私は檀を嫌いになれなかったのだ―――。

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  愛人との暮しを綴って逝った檀一雄。

  その17回忌も過ぎた頃、妻である私のもとを訪ねる人があった。

  その方に私は、私の見てきた檀のことをぽつぽつと語り始めた。

  けれど、それを切掛けに初めて遺作 『火宅の人』 を通読した私は、

  作中で描かれた自分の姿に、思わず胸の中で声を上げた。

  「それは違います、そんなことを思っていたのですか」 と―――。

  作家の妻 30年の愛の痛みと真実。




檀一雄さんの未亡人である檀ヨソ子さんへ 著者が1年以上にわたってインタビュー、

夫人一人称の形でまとめたもの。 だそうです。




愛人ができ、愛人の家で暮らした夫に対して

ときに責め、ときに冷静に受け流しながらも、

「子供たちの母としてより、檀の妻として多く生きてきたような気がする」 と語る妻。


夫への愛情が淡々とした語り口で綴られています。

(実際に綴ったのはご本人ではなくて著者なんだけれど^^; ・・・なんだか不思議な作品です。)




現代を生きる若者の(笑)私としては どうして別れなかったんだろうって思ってしまうけれど

時代背景や檀さんへの強い想いがそうさせたのかもしれません。





「あなたにとって私とは何だったのか。私にとってあなたはすべてであったけれど。」


という最後の文章が 強く印象に残りました。



檀一雄さんにとって 妻とはなんだったのか? 愛人とはなんだったのか?

彼がどのような想いで過ごしていたのか、知りたくなってしまいました。


『火宅の人』 を読むとそのへんは感じられるのでしょうか。

(↑これを読まずに本書を読んだのが 少しもったいなかったかも?^^;)


『リツ子・その愛』 『リツ子・その死』 という

檀一雄さんが前妻を看取るまでを書いたという作品も気になります。






読み始めるまでは深く考えなかったのだけれど

著者の沢木耕太郎さんが なぜ檀ヨソ子さんという女性を取材したのか・・

ということが 読んでみての最大の謎。。

うーん。沢木耕太郎さんにきいてみたいものです(o^_^o)